題字:権田直博

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2015年2月12日木曜日

クリスマス周辺

クリスマスっていうにはまだ早い20日にベルリンをでて ギュータースローという ハノーファーらへんの小さい街に行きました。
パトリック(以下パト)の育った街。
パトの友達のうちに泊まりました。
両親は いまは子供は全員家を出たので ちいさいとこに引っ越したとのことで 部屋がなかったので。

街は 30分もあれば まちの中心は観終わってしまうような規模でした。
でもなかなか なんでもとりあえずはありそうでいい街だった。
パトの地元友だちのパーティーにいったりもしました。
両親も兄弟も明るくて親切で安心しました。
24日はパトの叔父さんちに親戚があつまってすごすというので、そこへ行くことに。
パトの街から車で1~2時間くらいのさらに田舎のまちでした。
パトはドイツ人の中でも明るい方だなとおもってたんだけど そんなことなかった。
まずパト母、姉、妹などはさらに明るくいつもなんかいって笑ってて おお、とおもってたんだけど、親戚達(パト母方面の親戚)はさらに明るかった。
ドイツ人に対するイメージが変わりました。
まあそりゃあ色んな人がいるわけだから あたりまえなんだけど。

クリスマス24日はみんなでウサギの肉をたべるのがパト家の習慣だそうで、それを事前に聞いてた私は ちょっと私はウサギは食べたくない、食べたことがないし、飼ってたし、食べ物だというふうに思ってないのでと、パトにつたえたから みんなちゃんと理解してくれていた。でも 郷に入れば郷に従え という母の教え(だったようなきがする)
のものとに育ったので 一口だけたべてみることにした。
みんな おお双葉がウサギをたべたぞ〜!とかいってたけど ぱさぱさしたかんじで だけどおいしかった。おいしいけど一口以上食べる気持にはならなかったので 食べなかった。従兄弟にベジタリアンのひとがいたから その人も食べてなかったし、なにしろなんか明るいオープンな感じの人たちだからだれも何も気にしてなかったと思うけど。
それから クヌーデルみたいな名前のパンをこねてまるめてゆでたやつみたいなやつ。すごいわかりにくい説明だけど。。
鳥の飾りをクリスマスツリーにつけるのが ドイツのむかしからのやつらしい。
あと本物のろうそくもつける。 あまりごちゃごちゃせずにシンプルでキレイ。 
パト父曰く、昔のはガラスでできているとのこと。
これはパト実家のやつで ガラスでできてる。
毎年パト母が今年は何色にしようとか 色を決めて それでシンプルに色でまとめてやってるらしい。 今年は白と銀 だった。きれいだった。


これがクヌーデルみたいな名前のやつ。
日本の餅的なかんじだとおもう。 
触感ももちもちしてておいしいし、おなかにたまる。コレ単体だとあんまり味がないので なんかのソースをかけて食べます。
全部曖昧でもうしわけないけど 食べてる本人も説明を曖昧に理解して、曖昧なままたべて そしてもはや記憶も曖昧なのでおゆるしください。
となりに写ってるのがウサギの肉。
これ以外にももちろんザワークラウトなど ドイツ丸出しの食べ物をたべてきました。





主に従兄弟達のテーブル。
叔父さんたちおばさん達、 おばあさんも勢揃い。




ご飯の前に子供達(といってももうみんな私くらいの年齢)とその子供や、
叔父さん叔母さん数名で 近所にある教会にいきました。
教会には近所中の人があつまりにあつまっていて 2階席までぎっしりでした。
下の方ではなにやら子供達によるクリスマス劇がおこなわれているようでしたが 私たちの席からでは見えませんでした。
クリスマスの歌を歌って(私も知らない歌ばかりだったけど 置いてある冊子に楽譜がのってるやつは歌えたので 歌っといた)
わたしたちが普段きいてる、クリスマスシーズンに街で流れてるようなのは アメリカ的な曲らしく、ドイツはドイツのクリスマスの歌をうたうんだといっていた。
なんかすごく良いメロディーの曲があって、それが気に入りました。(もう忘れてしまったけど!)

そして教会から帰ってきて食事
その後デザートを食べたりのんびりして、さてみんなごそごそともみの木の周りにプレゼントを置きだし、わたしも一応パトの家族に用意してきたのでそれをもってきました。
そしてみんなであつまって クリスマスの歌を一曲歌いました。 
12時になると(25日0時)全員とクリスマスおめでとうといい ハグし合うというなんか楽しい儀式。全員が全員とするまで終わらない。(20人くらいいる)
もちろんみんな私にもちゃんときてくれて なんか楽しかった。
時々ふと なんでこんなとこに 日本人ひとり混じり込んでるんだろうと 我に返り可笑しくなるときがあったけど 周りはなにも気にしてなそうでよかったです。
その後クリスマスプレゼントをわたしあい、あーだこーだいって、
椅子を丸くならべだしたので なんだろうとおもってると 各家庭からいくつかずつ、新聞紙にくるまれた何かを中心に置きだした。
そして順番にサイコロを振って 6だかなんだかがでたら その新聞紙のものを選べて開封出来る。
全員にそれがいきわたったら またさいころをふって たとえば1が出たら、右回りに一回。3が出たらすきなのと交換できる、4が出たら左回り というようなゲームが始まった。
プレゼントにはいいもの(たとえば包丁セットやお酒)とわるいもの(うすよごれた蝋燭台やクリスマスは今日で終わるのにやたら重いクリスマスの飾り とか)
があって おじさんたちは お酒を巡ってやんややんやと盛り上がっていて わたしたちは 要らないプレゼントを押しつけ合うというたのしいゲームでした。
結局わたしはクリスマスの飾りだったんだけど 隣の従兄弟がうすよごれたザルみたいな 玉じゃくし?みたいなやつで わたしはそれが欲しかったから 従兄弟が交換してくれた。
汚れてるけど洗えばなんつうか アンティーク的なかんじでかわいいとおもったので。
古いやつっぽかったから。

パトは スーパーボールだったようで よろこんでいた。
その後、歌の三文字だけいって何か当てるという(当てたあとすごい大声でみんなで歌ってた)イントロドンみたいなゲームで 主に叔父さん叔母さんがもりあがり、(子供達はしらない古い歌がおおかったもよう、なお、わたしはほぼ知らないけど なんかたのしかった)夜はふけていった。

翌日は従兄弟たちと散歩にでかけたり 部屋でくつろいでたりと、のんびり過ごした。
昼にはガンツというたぶんガチョウかなんかの肉とクヌーデルなどでした。
ガンツは抵抗なくたべられました。 油がのってておいしかったです。
 
ずっと何か食べてる というおそろしい二日間でした。
あと、急に話をふられる恐れがあり ドイツ語をずっとがんばって訊いて名伽行けないのがすごい疲れたけど たのしかった。おばあちゃんも力強く、やさしい暖かい感じの人で 会えてうれしかった。

そんなクリスマスが終わり またパトの地元に帰り、こんどは家族と他の従兄弟などでクリスマスのお祝いをした。

パト父もギターを弾くひとで 部屋にいっぱいギターがあって わたしもギターをひくので(まったく技術ないから恥ずかしいけど) すきなの弾いてみなさい的にいわれたので ちょっとひいたりして たのしかった。
音楽やってて役立つことはこういうときにもあるのだな とやっててよかった、とおもった。

そこから数日をまたのんびりとすごし、ベルリンにかえってきた。
ベルリンのまちは 対して大きくないとおもってたけど(そりゃ東京や大阪と比べれば 規模は小さい) 田舎町からかえったら ああ ベルリンは 都会だな。 と思った。

そんな ドイツのクリスマスを堪能してきました。





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