題字:権田直博

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2013年1月31日木曜日

いきる


先日、母の入退院があって ちょっとおちついたとおもったら、
屋久島の友だちから 悪い知らせが。。

屋久島に住んでいたときに うちの隣の家のおばちゃんが 亡くなったと。。

びっくりして 感情がわからなくなった、

おばちゃんは 犬とおばちゃんの2人暮らしで よく一緒に散歩にいったりしていた。
屋久島を離れてからも 島に行ったときはおばちゃんちにいったり、
大阪から友だちをつれておばちゃんちに泊まったこともあった。
ほんものの親戚以上に 親戚のように感じていた。

うちの庭でバーベキューをするときは いつもおばちゃんはいきた車エビをもってきてくれた。
港に一緒に散歩に行ったり、夜、犬たちも一緒に 港に星をみにいったりもした。

うちの庭のテラス部分に母と腰掛けて話しているそばに うちの犬とおばちゃんの犬がねそべっている そのおばちゃんの後ろ姿を思い出す。

おばちゃんちの庭にある温室でそだった果物をもらって食べたり 観察したりした。
 おばちゃんちのハイビスカスは 私が観た中で一番おおきな花がさいていたとおもう。
ブーゲンビリアがきれいで、 それから大きな椰子がはえていて、椰子はアリにやられて切ってしまったけど、それはりっぱな椰子だった。

わたしの記憶の中の おばちゃんはいつも笑顔だった。

おばちゃんのことを思って一気に涙が出た。

うそだろ、ておもう。

2月で70歳になるところだったみたい。
はやいよ、


でも、天国で おばちゃんをずっと待っていた おばちゃんが前飼ってた犬、それからうちの犬も だいすきなおばちゃんに会えて 喜んでると思う。
しっぽをちぎれるくらい振ってると思う。

そう思うと、すこし気持がおちついた

何十年後か わたしもそっちにいたときに またおばちゃんに会えるから それを楽しみにしよう。

おばちゃん ありがとう。
でも、もっと会いたかった。
私は今ベルリンにいて お葬式にも行けないけれど、
心からおばちゃんにありがとうって言います。


記憶のなかでいつもおばちゃんは 笑顔だったって 書いたけれど、
そうやって 人の記憶に笑顔で残ることっていうのは すばらしいことだと思う。
なかなかできることじゃない。

今の私はどうだ。
きっとそうじゃない。
いつもなにか愚痴をいったり きっと卑屈な顔をしてるんじゃないかな。
おばちゃんが おしえてくれたことかもしれない、
わたしも人の記憶に 笑顔で残る生き方がしたい。

いつかおばちゃんにまた会う時、このことをおばちゃんに伝えよう。
そして そのためにも、 そういう生き方をしよう。

おばちゃんに子供はいないけれど、
そうすることで、私の中におばちゃんはずっとのこるんだ。


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